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Merrison版 解釈

異なれど縁

BBCラジオ版の解説本であるBert Coules著“221 BBC”にて、“His Last Bow(最後の挨拶)”に登場するマーサさんに関する記述があったのでその辺りについて。


※一部ネタバレ[1]知らずに聴いた方が楽しいのではないかと思う、という程度の。を含みます。

 BBCラジオ版の“His Last Bow”、正典の前日譚部分――ホームズさんの元に依頼が持ち込まれるところ、一度は引退を決めたホームズさんが依頼を引き受けた経緯、ホームズさんとワトスンさんの再会等――を上手く膨らませて描かれた、素敵なラジオドラマでして。
 前日譚部分ではホームズさんの隠居生活も描かれているので、そこで雇っている家政婦さんも出番があるんですが、彼女が「マーサ」と呼ばれています。

 そもそもの話になりますが、

  • 「最後の挨拶」に登場する、住み込みでフォン・ボルクの家に潜入している老女、マーサさん
  • 「ライオンのたてがみ」冒頭で、蜂と共にホームズさんの家族だと語られている家政婦さん
  • ベーカー街221Bの家主であるハドスン夫人

 この三者は同一人物だったのではないか、という説がシャーロッキアンの間にはあるそうです。
 BBCラジオ版の“His Last Bow”では、少なくとも上記の内はじめの二つが同じ人物(隠居先の家政婦=マーサ)という説が取られていることになります。

 ではマーサとハドスン夫人の扱いについてはどうなっているかというと、“221 BBC”p.118では以下のように書かれています(以下枠内拙訳)。

 マーサはハドスン夫人なのかどうか、訊ねられたことが何度もある。けれど、少なくとも私たちのシリーズにおいてはそうではない。そして私の考えでは、正典においても同じくそうではない。根拠は幾つかあるが、私にとって決定的なのは、ホームズの彼女に対する呼び掛け方だ。ハドスン夫人であれば間違いなく、いつでもその通りに呼ばれているだろう――「ハドスン夫人」と。かの探偵のような、元来がヴィクトリア朝紳士である人にとって、ヴィクトリア朝の終わった1914年であっても、ファースト・ネームはペットやこども、家族――そして召使いに向けたものだっただろう。ホームズはハドスン夫人を召使いのように扱いかねない[2]Holmes might well have treated Mrs Hudson like a servant… なので、時としてやりかねない、くらいのニュアンス?が、しかし彼女は召使いではなかった。マーサは召使いだったのだ。

 これだけなら、そうか脚本家さんはそういう考えなんだな、で済む話なんですが、同じくBert Coules氏による脚本の別の回[3]タイトルを出して良ければ“A Scandal in Bohemiaで、ハドスン夫人が「マーサ」と呼ばれるシーンがあるのでまァ大変(わたしが)。
 今回『221 BBC』で上記の「マーサ≠ハドスン夫人」という記述を読むまでは、そうかBBCラジオ版では老後のホームズさんの近くにハドスン夫人が居てくれているんだな、ファーストネームで呼ぶようになったのは時代の流れか、あるいはぐっと身近な家族のような存在として受け入れたことの表れかなと思っていたんですが、……え、えええ……?

 じゃあどういうつもりでハドスン夫人のファーストネームを「マーサ」にしたんですか! という気持ちで関連箇所を確認すると、p.45で以下のように語られていました。

 (前略)しかし、この本を作るにあたってそのシーンを振り返り、その良き女性をマーサと名付けたのを目にすると、私は少しばかり恥ずかしく思う。そこには正典に基づく根拠が全く無いのだ。彼女がホームズの隠居生活における家政婦(はっきりとその名が与えられている)でもあったというのは、ファンによる推論でしかない。それは私が実際に信じていることではないのだが、詳しくは後ほど[4]but more of that laterって「詳しくは後で」という意味で合ってるんでしょうか。

 ……ファンサービス、あるいはバートさんもやってみたかったネタ、みたいな感じでしょうか。
収録で言えば1990年から1993年、最大丸3年の空白があるので、シリーズを重ねるうちに考えが変わってもおかしくはないよなァ、とは思います。

 ともあれ、BBCラジオ版のマーサさんはハドスン夫人ではない……いやでもLASTの終わりの方[5]Tr.13冒頭で「マーサ!」「こんばんは、ワトスン先生。またお会いできて良うございましたわ」「私も会えて嬉しいよ、元気そうで――でもこんなところで一体何を?」って会話をしてましたよね!? という戸惑いはあったんですが、ハドスン夫人ではない別の家政婦さんとそんな親しげな会話をしているということは、ワトスンさんは割とホームズさんのところに遊びに行ったり、ホームズさんと送り合う手紙の端々でマーサさんとも交流を持ったりしていたんじゃないですか、というところまで想像が膨らんだので、それはそれでいいかな、という気がしています。
 あとホームズさんが隠居先で家政婦さんを雇おうとしたとき、ハドスン夫人と同じファーストネームを名前を懐かしく思ってマーサさんに決めた、ということがあっても良いのではないかと……ロンドンを離れるときに別れがあったのだとしても、221Bでの生活が彼の中に何かを灯して、それがその後も残っていたりしたらいいなァと思います。

2023/05/13 レイアウト調整

References

References
1 知らずに聴いた方が楽しいのではないかと思う、という程度の。
2 Holmes might well have treated Mrs Hudson like a servant… なので、時としてやりかねない、くらいのニュアンス?
3 タイトルを出して良ければ“A Scandal in Bohemia
4 but more of that laterって「詳しくは後で」という意味で合ってるんでしょうか。
5 Tr.13冒頭