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自己毒殺者

正典「The Five Orange Pips(オレンジの種五つ)」、ホームズさんのことを「コカイン(&タバコ)中毒者」と称するワトスンさんの話と、それに対するホームズさんの反応に関しての妄言。


 正典にグラナダ版、「SHERLOCK」S4、ラスボーン版などを巡っている内に興味がとっ散らかっておりまして、とりあえずヴィクトリア朝イギリス階級社会への理解の足しにすべく、ここ暫くは正典原文の台詞部分をさらってみたりしています。
 ホームズさんのラテン語フランス語引用に気付いたり、訳に出ていない部分にきゃっきゃしたりと楽しんでいるんですが、楽しむ過程で調べたことは残しておきたいな勿体無いな、という貧乏性を発揮して以下。


 「オレンジの種五つ」、依頼人であるオープンショウ青年が部屋を辞したあと、暖炉の前で考え込んでいたホームズさんが口を開いてからのお二人の会話シーン。
 ホームズさんが「僕らが知りあって間もなかった頃、君は僕の限界について定義したことがあったね」と『緋色の研究』でのワトスンさんの記述を引き合いに出すので、ワトスンさんも「あったね」と笑ってその内容を振り返るわけですが。

“Yes,” I answered, laughing. “It was a singular document. […] violin-player, boxer, swordsman, lawyer, and self-poisoner by cocaine and tobacco. Those, I think, were the main points of my analysis.”

The Five Orange Pips – Arthur Conan Doyle

 下線を引いた箇所、“self-poisoner by cocaine and tobacco”。直訳なら「コカインとタバコによって自らを毒する者[1]Google翻訳だと「自己毒殺」。」とでも言いましょうか。
 ここ、新潮文庫(延原謙訳)でもハヤカワ文庫(大久保康雄訳)でも「中毒者」となってるんですが、中毒者の一般的な訳語はan addictとかjunkie、nut、freak、user……という感じだそうなので[2]現代と19世紀末とだと単語の使われ方が違う可能性もなきにしもあらずですが、とりあえず”The Man with the Twisted Lip”の冒頭で”was much addicted”という表現があるのだけ確認しています。poisonという表現が一般的だったわけ、ではない、はず!、これ、ワトスンさんの気持ちが前面に出た言い方ですよね。「君はその悪癖で君自身を殺しているようなものだ」と言いたいわけですよね!?

 ……とは言いつつも、コカインだけでなくタバコも含めてのことだし、そこまで強い感情が籠っているわけではないのかなァ、とも考えています。タバコはワトスンさんも吸うし、そんなに咎める場面もなかったような気が……ホームズの場合は量が多すぎる、という気持ちもあったのかもしれませんが。

 まァでも単に「中毒者」と客観的に述べる以上の非難する気持ちがワトスンさんにあったのだとして、ホームズさんの反応の方も確認してみますと。

Holmes grinned at the last item. “Well,” he said, “I say now, as I said then, that a man should keep … .”

 ここが延原先生訳だと「最後の項目にニヤリと笑って」。大久保先生訳も「最後の一項を聞いて、にやりと笑った。」となっています。
 ここの「ニヤリ」、口を閉じたまま、何なら片方だけ唇の端を上げて皮肉を面白がるように笑う、という感じのイメージで受け取っていたので、チェシャ猫スマイルというイメージの強い[3]個人的に。参考:grin like a Cheshire catgrinという単語で描写されているのが結構意外でした。
 辞書を見てみると“grin”の定義は「歯を見せて笑う/威嚇する」という感じのようなんですが、口を開けて歯を見せてニカッって笑うホームズさん……想像すると面白いものがあります(笑)。[4]でも改めて考えてみると案外やってそうだよな、という気もしたり。グラナダ版「四つの署名」でも、ポンディシェリー荘で二人きりの捜査を始めるところで、ジェレミーホームズさんがgrin!って感じで笑ってました。[5]歯を剥いてワトスンさんに対して威嚇するホームズさん、というのも(無いと思いますが)想像するとちょっと面白い。

 そして辞書を引くと色んな訳の候補を見て遊び始めるのが常でして、以下の記述に興味を惹かれました。

1〈…に対して[喜びなどで]〉(歯を見せて)にこっと笑う,にやりと笑う〈at[with]〉(喜び・満足・軽べつ・ばつの悪さなどの表情)

grin – Eゲイト英和辞典(Weblio)

 ばつが悪くてgrinすることもありえるのだということに驚きまして、こっちの解釈もできるのではという目で見てみると、ホームズさん、grinしたあとに“Well,”って言ってるんですよね。この“well”[6]新潮文庫だと反映されている(と思われる)箇所は無し、ハヤカワ版だと「ともかく――」。、言い淀んだと取るならば、チクリと刺されてたじろいだホームズさん、という見方も出来るんじゃないかと思います。
 ……思うけど、いや、ないかなーとも思います! grinは様子を表す副詞と一緒に使われることが多いというネットの解説も見掛けたので、このgrinはどういうニュアンスなのかちゃんと書いといてくださいドイル先生! という見当違いの八つ当たりもしたくなりつつ。

 まァ結論は出さないスタンスですが、改めて考えてみるとこのホームズさんの反応、描写のみで放り出されているなァという印象を持ちました。
 素直に読むなら、悪癖を指摘する軽口を挟まれたので面白がって、ワトスン君きみも言うね、って気持ちで笑った、という感じでしょうか。『緋色の研究』時点だとワトスンさんはホームズさんがコカイン常習者だとは知らないし、最後の一項目は件の(『緋色の研究』序盤での)記述に含まれてないので、さらっと付け加えられたので笑った、という面もあるのかなーと思います。

 そして余談ですが、上記の会話の少し前の部分。パイプを吹かしていたホームズさんがワトスンさんに声を掛けて、「ここまで風変わりな事件は今までなかったね」と話し掛けたところの続きとそこの新潮文庫版の訳が以下。

Watson: Save, perhaps, the Sign of Four.
 「まア『四つの署名』以来の事件だね」
Holmes: Well, yes. Save, perhaps, that.
 「そうさ、まアあれ以来かね」

 同じフレーズを使って返してくれるホームズさんが可愛いし、それを反映させた訳にしてくれている延原先生訳も可愛いです。

2022/04/12 レイアウトの調整

References

References
1 Google翻訳だと「自己毒殺」。
2 現代と19世紀末とだと単語の使われ方が違う可能性もなきにしもあらずですが、とりあえず”The Man with the Twisted Lip”の冒頭で”was much addicted”という表現があるのだけ確認しています。poisonという表現が一般的だったわけ、ではない、はず!
3 個人的に。参考:grin like a Cheshire cat
4 でも改めて考えてみると案外やってそうだよな、という気もしたり。グラナダ版「四つの署名」でも、ポンディシェリー荘で二人きりの捜査を始めるところで、ジェレミーホームズさんがgrin!って感じで笑ってました。
5 歯を剥いてワトスンさんに対して威嚇するホームズさん、というのも(無いと思いますが)想像するとちょっと面白い。
6 新潮文庫だと反映されている(と思われる)箇所は無し、ハヤカワ版だと「ともかく――」。