「バスカヴィル家の犬」でのホームズさんの台詞の原文確認と訳文比較。
ワトスン、君には、あどけないほどの若々しさがあるものだから、その君をさかなにして、ぼくの持ついささかの力をはたらかせて楽しんでみたくもなる。
「バスカヴィル家の犬」阿部知二訳(創元推理文庫旧訳版)
以前からTwitterで見掛けてはいたけれども『バスカヴィル』にそんな台詞あった……? と疑問に思っていた上記の台詞について、原文含めてやっと確認したのでその覚え書きです。
とりあえず新潮文庫版の正典を読んでいる身としては欠片も記憶になかったので、原文に”Watson,”で全文検索を掛けるという荒業に出ました。
結果、問題の台詞は第3章”The Problem”後半で見付かりました。序盤の発言で良かった[1]余談ですが第1章では”(my dear) Watson,”という呼び掛けが8回出てきていて面白かったです。。
“There is a delightful freshness about you, Watson, which makes it a pleasure to exercise any small powers which I possess at your expense. […]”
Arthur Conan Doyle, The Hound of the Baskervilles
シーンとしては、ワトスンさんが221Bに帰って来た直後、ホームズさんから「今日は一日中クラブに居たんだね?」と言われて、なぜ分かったんだと驚いているところ。その反応に対するホームズさんのコメントが上記の台詞です。
ごくごく淡々と訳すのであれば、「君にはどこか人を喜ばせるようなfreshness[2]元気の良さと取ることもできるし、簡単な推理を披露する度にびっくりしてくれるという毎度の新鮮な反応のことを知っているとも取れる。ような。がある、ワトスン、それが僕の持っている力をちょっとばかり働かせて君を驚かせる[3]直訳すると「君を犠牲にして」、補って訳せば「君からそういう反応を引き出す」くらいの意味合い……?ことを楽しいものにするんだ」という感じでしょうか。大枠としては、君がそんなふうに反応してくれるから些細なことを推理して指摘したくなるんだよねえという悪戯っ子な台詞かなと思われます[4]かわいい。。
英単語のニュアンスや意味は以下。(【】内は拙訳)。
delightful
freshness
・[NEWNESS] the quality of being new or original, and usually therefore interesting:
【新しいもしくは独自のものである(多くの場合はそれゆえに興味深い)という性質】
・[YOUNG] a quality of being, seeming, or looking young:
【若いもしくは若く見える[5]“seeming young”と”looking young”って何が違うんです……!?(前者は見た目だけの話ではなくて話者の推察などが入ってくる……?)という性質】
・[NOT TIRED] the quality of not being tired:
【疲れていないという性質】
at your expense
If someone laughs or makes a joke at your expense, they do it to make you seem foolish.
【誰かが”at your expense”で笑ったり冗談を言ったりする場合、彼らはそうすることであなたが馬鹿だと思われるように仕向けている。】
1.1 With someone as the victim, especially of a joke.
【誰かを(特に冗談の)犠牲にして】
『バスカヴィル家の犬』の翻訳は以前何かの折に集めていて複数種類手元にあったので、以下同じ箇所の訳を並べておきます。
「君はばかに元気なようだが、そうなるとちょっとばかり推理力を活用してみたくもなるんだよ。…」
新潮文庫版(訳・延原謙)
わたしが読んでいたのは↑でした。阿部さんの訳を見てもどこの箇所だか分からなかったのも納得……!
「いやはや、ワトスン、きみはあいかわらずナイーブだねえ――だからこそこっちとしても、きみをだしにして、ちょっとした推理力をひけらかしてみせたくもなるというものだ。…」
創元推理文庫新訳版(訳・深町眞理子)
ナイーブ! 「ひけらかして」というの良いですね、ホームズさんらしくてすてき。
「ワトスン、きみの純粋な驚きようにはまったく嬉しくなるね。おかげできみを練習相手にささやかな能力を鍛えるのが楽しくてしかたないよ。…」
角川文庫版(訳・駒月雅子)
台詞の直前のやりとりも含めて”a delightful freshness”を訳しているパターン。「まったく嬉しくなるね」「楽しくてしかたないよ」ってご機嫌ですねホームズさん……(笑)。
「きみはほれぼれするほど元気だから、きみをだしにして、ちょいとぼくの力だめしをするのがたのしいんだよ。…」
岩波少年文庫版(訳・林克己)
freshnessを”not tired”の方向で訳しているパターン。「きみをだしにして(略)ぼくの力だめしをする」という発言、友人相手にどうなんですか。
「ワトスン、 きみはいつも元気はつらつとしているもんだから、ついぼくは、ささやかな力をはたらかせてからかってみたくなるんだ。…」
ハヤカワ・ミステリ文庫版(訳・大久保康雄)
「からかう」って言った!!
こうして並べて見ると、”freshness”の解釈は「若々しさ、初々しさ、新鮮な反応」方面と「元気いっぱい」方面に分かれているんだな~とか、”at your expense”の訳し方によってホームズさんの性悪さの度合いが変わってくるなとか、そういった楽しみもありますね!(感想)